Tap to close

起立性調節障害の施術には、『十五才 学校IV』を観なくてはいけなかった

電話番号054-221-0125住所

起立性調節障害の施術には、『十五才 学校IV』を観なくてはいけなかった

こんにちは。けんこうカイロプラクティックセンター 岩崎久弥(いわざきひさや)です。





ゴールデンウィークに娘と行ったGEO

溢れるほどあるDVDの棚で2000年に公開された山田洋次監督作品 『十五才 学校IV』のDVDを見つけた


『十五才 学校IV』

横浜郊外に住む不登校の中学3年生・川島大介は、ある日、無謀にも両親に内緒で九州・屋久島の縄文杉を目指し、ひとりでヒッチハイクの旅に出た。大型トラックの厳つい運転手・佐々木や女性ドライバーの大庭、そして彼女の引きこもりの息子・登らとの交流を経て、屋久島に辿り着いた彼は、島で出会った登山客・真知子と共に、険しい山道に挑み、遂に縄文杉を見ることが叶う。その後、真知子と別れてひとり山を降りた大介は、侘びしい一人暮らしをしている老人・鉄男と知り合い、彼の家に一夜の宿を提供してもらう。






懐かしい


私は当時、山田洋次監督作品を観まくっていたので、当然『十五才 学校IV』も映画館で鑑賞


カイロプラクティックの大学に入学しようか迷っていた時期、毎日悶悶としていた時期にみた映画で印象にのこっている。


今の時代。YouTubeで何でも観ることができるが、やっぱり映画館で観た映画は印象にのこっている

少なくとも手元にスマホ一台があれば、だいたいのコトは、自宅で済むようになっている。それがいいか悪いかかどうかはその人の価値観になるのだが・・。


起立性調節障害・パニック障害・うつ病・自律神経失調症の方とお話をしているとよく出てくるのが、「スマホが無ければ友達とも会えない」「人生が面白くない」「ゲームが人生」というフレーズ









スマホしか面白くないのか? ゲームしかないのか?


大学進学で自宅を離れた私の息子も、いつもスマホやゲームばかり触っていて、大丈夫なのかと感じる


下手に「スマホ中毒になるぞ」に言っても、「そんなのわかっているよ!」と嫌な顔をされ言われるのがオチ。


どうするか?どのように話したら「そんなのわかっているよ!」と言われずにすむか?と考えている時に出会った、22年前の『十五才 学校IV』


「子供の視点」を忘れていた。


視点の先に何を見るか?が重要


スマホばかりしている子供がいるとしよう。


世間一般では、スマホばかりしている子供は、いい大人になれないと考える。


先日観た『世界一受けたい授業』でのメタバースの世界


メタバースって知っていますか?




メタ(超越)+ユニバース(宇宙)

メタバース は、コンピュータやコンピュータネットワークの中に構築された、3次元の仮想空間やそのサービスを指す。

日本にあっては主にバーチャル空間の一種で、企業および2021年以降に参入した商業空間をそう呼んでいる


もうこのぐらいの技術は、大人はついて行けなくて、子供に習わなければ行けなくなるという世界


だから私のような親の世代が考える、「スマホばかりしている子供は、いい大人になれない」という考えはもう通用しないらしい


いつの時代も「最近の若い者は・・・・」という愚痴が聞かれる。


何かで読んだことありますが、平安時代の書物にもあったようです。


外国でもエジプトの粘土板の中にもそのような愚痴があったと聞いたことがあります。









いろいろと検索してみると

かつて埃及(エジプト)の古跡発掘において、 中期王朝の一書役の手録が出てきた。今からざっと四千年前とかのものである。その一節を訳してみると、こんな意味のことが書いてあった。曰くこの頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実 剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしいことだ云々と、是と全然同じ事を四千年後の先輩もまだ言っているのである。」




結局4000年以上前から「若い者」は常識を破ったり、年長者に逆らったりしている、そうやって時代が移り変わり、たくさんの「常識破り」の中から時代が生まれ変わる。


織田信長の「うつけもの」や日本昔話の「三年寝太郎」も同じかもしれない。





だから「スマホが無ければ友達とも会えない」「人生が面白くない」「ゲームが人生」と言っている方々のことも、視点を変えてみなくてはいけないと考えるようになってきた。


ただただですね、自律神経の事を考えると、スマホの長時間使用は、良くありません。


そういっても、スマホ中心になってしまった生活パターンを変えることは至難の業


10年後を変えるということで、けんこうカイロプラクティックセンターに来院される方はいません。なんとか今を変えたいという方が来院されるので、やっぱり「子供の視線」だけでは行けないのですが、どこまでが今というのは、曖昧・・・・・


ここは、よく話さないといけない。




『十五才 学校IV』で引きこもりになっている息子さんの詩が朗読される、それがこれ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


浪人の詩

草原のど真ん中の一本道を あてもなく浪人が歩いている

ほとんどの奴が馬に乗っても 浪人は歩いて草原を突っ切る

早く着くことなんか目的じゃないんだ

雲より遅くてじゅうぶんさ

この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ

葉っぱに残る朝露 流れる雲

小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない

だから浪人は立ち止まる

そしてまた歩きはじめる












施術をあせってはいけない。けど焦らないといけないと考えてしまうのが施術者の私。

どうしても親の視線が出てしまうことが、もどかしい。一緒に来院されている親御さんの気持ちになってしまう。


でもでもでも、やっぱり本人の気持ちに寄り添わないといけないと、『十五才 学校IV』をみてつづつく感じました。


起立性調節障害で悩んでいるお子さまをお持ちの親御さんは、ぜひご覧になって欲しい映画